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時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2017/08/20 23:45:15
父が亡くなって、今日で14年が過ぎた。

現職の山形市長であった父・和夫が、市長のまま亡くなったのが、2003年の8月20日の未明であった。

享年73歳。


自分の祖父・萬五郎は、山形警察署長や消防長などの任務につき、戦後の混乱期の山形県の秩序を守った人である。

しかし、父が中学2年生の時に病で亡くなる。

祖母うたは、女手ひとつで、2人の息子と4人の娘を、山形市の七日町の借家で育てたのである。

父の兄・敏夫は、享年96歳で、昨年天に召された。
山形県の総務部長、教育長、出納長を歴任し、父・和夫の10歳歳上。
やんちゃな山形南高校初代応援団長だった父・和夫を、しっかり導いてくれた。

その、伯父の敏夫の息子が、東京大学卒で弁護士となる和彦。
その和彦は40半ばで亡くなり、伯父や伯母、そして妻子は、とても辛い日々を送った。

その妻・美栄子が十数年後、山形県を率いる山形県知事になるとは、誰も思ってもいなかっただろう。

とても真っ直ぐで、明るく、頭が良く、賢い女性であったのは周知の事実であったが、まさか、今の立場になろうとは、縁や繋がりは、とても不思議である。


父・和夫は、奨学金をもらい、山形大学に進む。
山形新聞社の相馬元会長や、料亭・亀松閣の先代の笹原氏などは、山形大学の同級生であった。

その後、前農林水産大臣の鹿野道彦氏の父・鹿野彦吉先生へ仕え、第1秘書として、東京と山形を行ったり来たりしていた。

そして、17年後、山形南高校卒業生では、初めての県議会議員となる。
父が39歳の時であった。

その後、山形県議会選挙では4期連続トップ当選を果たし、当時革新市長だった金沢忠雄市長の6期目に、「24年は長過ぎる!」とのキャッチコピーで、戦いを挑んだのであった。



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当時の父親は、山形県自由民主党県連副会長。
幹事長である竹下登先生は、「さあ、交代の時が来た!」と、チャーチルの言葉を使い訴えた。

右から2人目は、米沢市出身の遠藤武彦衆議院議員。



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左から2人目は、当時の自由民主党の青年局長の鹿野道彦氏。
福田派の清和会のプリンスと呼ばれ、福田派では、とても可愛がられていた。
ちなみに、当時の青年局次長は麻生太郎元総理であった。


数年後、山形市議会議長になる中村幸雄氏の顔も見える。
父の秘書であった彼は、まさに父の弟分であった。



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福田派の清和会の応援は凄かった。

鹿野道彦先生は、将来の総理候補で福田派のプリンス。
まだ、石原慎太郎氏や小泉元首相は、あまり知られていない頃、やはり安倍晋太郎氏は清和会の後継者であり、鹿野道彦先生や父・和夫を、本気で応援してくれた。
現総理大臣・安倍晋三氏の父親である。

父の後ろには鹿野道彦先生、左側には、山形県の自由民主党の重鎮・沼沢善栄県議の姿が見える。

マイクを握っているのは、上町の高橋庄左衛門市議。



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右には、父の尊敬していた、県議会議員から国政へ進んだ後の科学技術長官の近岡利一郎衆議院議員。

竹下登幹事長は、好敵手の安倍晋太郎氏が亡くなり、総理への道のど真ん中を進むのであった。



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扇千景参議院議員。
後の国土交通大臣である。

自分の父と母と、とても仲が良く、特に母・静子は、扇千景講演会の「扇友会」の会長であった。

ヤマザワの山澤進会長の亡き奥様が「扇友会」の副会長であった。

扇千景先生は、その後、女性初の参議院の議長となる。
旦那様は、中村扇雀氏であり、よく、母はお邪魔していた。


当時は全国的にも、山形市は遅れており、戦後はお隣の仙台市と、同じくらいの人口であったが、いつの間にか、当時の時点で、50万人と25万人と、ダブルスコアに差が開いていた。


当時の金沢革新市政が四半世紀も続き、日本が最も経済的に伸びた時期に、山形市は間違いなく取り残されていったのであった。

だからこそ、当時の自由民主党のメンバーが、総掛かりで、山形市政の保守奪還に挑んだのである。


しかし、四半世紀の張り巡らされた大木の根は、そう簡単には、切り倒せず惜敗。

その後も合わせ、3回の山形市長選に臨み、3回落選した父・和夫。


結局、父の50代の10年間は、在野の人で無職であった。

後援会の方々が、米を持って来てくださり、野菜を取って来てくださる。
その力で、我が家は生かされていた。



それから暫くして、鹿野道彦先生が、自由民主党を飛び出し、新党を作る。

父は、無所属になる。

後の五輪大臣の遠藤利明氏は、日本新党から自由民主党に入党する。

そんな、国政の大きな流れの中に、山形市長選はあった。



自分が20代の頃の話だ。


父は、その後、県議会議員に史上最高得票数24000票で返り咲き、山形市長選挙には出ないつもりでいた。


自分も、30代の仲間たちや同級生が中心となり、株主50名から200万円を募り、ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)を設立する。

自分が32歳の時である。
弟は、まだ高校を卒業した頃。


その7年後、金沢市長の後継者の佐藤山形市長が、市長室でお金のやりとりをしたと、秘書課長が逮捕され、なんとも摩訶不思議に、既に69歳になった父に、白羽の矢が立つのである。

そして、様々な葛藤の中で、父は決断し、4度目の挑戦をする。
結果は、大差で当選する。

「清新、清潔」と訴えていた当時の革新市政の流れ、その秘書課長の逮捕は、山形市民の多くの人々に、とても違和感を与えたのである。

そして、父が、成りたかった時にはなれず、他の方に譲ろうとした時に成れるという、人知の及ぶところとは違う、天の配剤を強く感じた瞬間でもあった。



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父は、1期4年の任期を終えず、他界する。

オーヌマホテルを借り切った家族葬には、4000人を越える弔問者から来場賜わった。

県民会館にて、山形市の皆さんが取り行って下さった「市民葬」には、1300人の市民の弔問者が来場下さった。

その市民葬の最中に、金沢元山形市長が亡くなったのも、ご縁の不思議であった。

ひとつの時代が終わったように感じた。



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今日は、父の祥月命日。
もう14年になる。


朝から、元山形市の秘書課のメンバーや市川昭男前山形市長、山形商業高校女子バスケット部前監督の高橋仁先生、斉藤淳一元山形市議会議長など、多くの方々が、いまだに弔問に来てくださる。

菩提寺の長源寺からは、葦原ご住職が所用の為に、達磨寺の和尚様がお参りに来てくださる。

そして、当然、母と、自分と弟の家族が、仏壇に手を合わせた。



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人は亡くなっても、その意思や思いは、続いていくと信じたい。

「山形を良くしたい!山形を魅力ある都市にしたい!」との思い。


自分も、政治家ではないが、その意思はしっかり継いでいるつもりである。


父は山形県バスケット協会の会長、東北バスケット協会の会長を歴任した。

自分が、まさか、プロバスケットボールチームのパスラボ山形ワイヴァンズの社長をしていることも、まさに天の配剤であろう。


ワイヴァンズは、今日、天に届くような勝ち方をしてくれた。
感謝である。


父の好きだった言葉は、「分甘共苦」と「一志如鉄」である。
「喜びは分かち合い、苦しみは共にある」
「志は、鉄のように固い」


自分は、「信なくば立たず」「義を見てせざるは、勇なきなり」である。


この思いを、脈々と、何代も伝えて行こうと思うのであった。





元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-12303274077.html

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